万葉の世界へようこそ!
〜 ジェネカ小学部秋季企画 遠足へ行こう! 〜
青丹よし奈良の都は咲く花のにおふがごとし今盛りなり
小野老(おののおゆ)
『万葉集』は、日本でもっとも古い歌集で、奈良時代の終わりごろにできたと考えられています。平城(へいぜい)天皇がえらばせたとも、大伴家持(おおとものやかもち)が選んだとも言われていますが、はっきりしたことはわかっていません。その書名は、@多く(万)の歌(葉)を集めたものとする説と、A万代・万世まで伝えたい集であるとする説などがあります。
全部で20巻、およそ4540首あり、歌は舒明(じょめい)天皇(600年くらい)から大伴家持(759年)までのものが収められています。
万葉仮名(まんようがな)みなさんは漢字・ひらがな・カタカナを使って文章を書いていると思いますが、ひらがなやカタカナは平安時代に発明されたものです。では、万葉集はどのような文字で書かれていたのでしょうか。
日本の文字は大陸から輸入された漢字からはじまります。『万葉集』は日本語の読み方を全て漢字で書き表したものです。
宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯提斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農 ← 読めるかな?
万葉の歌人たち『万葉集』の歌人たちは、とても多様な身分の人々です。天皇やそのこども、貴族など、高い身分の人々も歌を詠(よ)んでいますが、「東(あずま)歌」と言って関東地方の人々が詠んだもの、「防人(さきもり)歌」と言って九州に兵士として行った人々が詠んだものなどさまざまです。ここでは代表的な歌人を紹介します。
東(ひむかし)の野にかぎろひの立つ見えて
かへり見すれば月かたぶきぬ
柿本人麻呂 |
田児の浦ゆ、うち出てみれば、真白にそ、
富士の高嶺(たかね)に、雪は降りける
山部赤人 |
瓜食(は)めば子ども思ほゆ、栗食めばまして偲はゆ、いづくより来りしもの
ぞ、眼交(まなかひ)にもとなかかりて、安寐(やすい)し寝(な)さぬ
山上憶良 |